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急募★私塾同士!

私は、関西学院大学大学院とパリ・ソルボンヌ大学大学院を卒業後、作家として活動しています。この枯渇した時代、生活に潤いをもたせましょう。私と文学、芸術、人生について語り合いませんか?まずは私の世界の入り口をお目に掛けましょう。



文学の遍歴

童話と私
  遍歴などという大袈裟なものではなく、今は遠い過去に溯って、読書の想い出など簡単に綴ってみたいと思います。
  幼い頃は、世界児童文学全集をよく拾い読みしていました。グリム童話やアンデルセンとめぐり合ったのもこの時です。童話というと、美しい優しい話って誤解されていますけれど、殊にグリムなどは、充分に残酷な話もたくさんありますし、様々な要素の入り混じったトータルな人間性を表現していると思います。
  小学校に入って、『フランダースの犬』や『次郎物語』を一所懸命読んでいました。
漱石のブラックユーモア
  中学になってからは、芥川龍之介、夏目漱石が好きになりました。芥川では『地獄変』など耽美的なものに衝撃を受けましたが、何より漱石が好きで、『それから』『門』『行人』の三部作は、くり返し読みました。漱石の特徴っていうのは、諧謔性だと思うんですね。巧まざるユーモア。初期の作品だけじゃなく、晩年のものにもあのテンポのよい文体そのものにユーモアが滲み込んでいると思います。それは僕にとっても影響を与えました。諧謔というのは、僕自身の一面性をなしているのではないかと思います。今度北栄社から出る『カニバリズム幻想』などにも、ブラックユーモアのような形で尾を引いています。漱石の文体の持つ“軽さ”というものには、深い郷愁を感じます。ほとんど肉体的なものとなって自分の中に残っていますね。
『暗夜行路』との出会い
  高校に入ってすぐ、志賀直哉の『暗夜行路』を読み、深い感銘を受け、拙いものですが、それを真似た短編を書きました。潔癖性の故に人間嫌いになっていく主人公が、ニヒリズムに陥らずに、最後には人道主義的な人間観に還っていくところに、救いを感じます。その頃、学校生活に馴染めなくて苦しんでいた自分には、まさに一条の光でした。
運転手と間違えられて
  そのまま白樺派にのめり込み、武者小路実篤に熱中しました。なんの紹介状もなしに会いに行ったのです。ドアを開けたら、そこに彼が立っていて“お入んなさい”と書斎に通して下さって、一時間も話して頂きました。絵の話が多かったですね。
  間もなく亡くなられて、お葬式に行ったら、運転手と間違えられました。
  武者さんの場合は、小説よりも人間性の大きさというか、その人生論に魅かれたところがあったと思います。
刑務所で読んだ『罪と罰』
  それからトルストイにいくのですが、これはやはり文学作品として圧倒されたのです。『戦争と平和』からはじまって『アンナ・カレーニナ』『復活』とほとんど一気に読みました。
  僕は、イメージとしてはっきり浮かんでくる作品でないと、どうも受け入れにくいのです。その点トルストイはすごい。たった一、二行で、一人の女性のイメージをそれは鮮やかに描き出します。
  その意味でドストエーフスキイは僕にとりまさに迷路そのものです。数ページにわたって描写されているにもかかわらず、心に映るのは女性像の断片ばかり。トルストイの次に読みましたが、クタクタになりました。
  尤も、『罪と罰』を刑務所に入って再読したら、この人犯罪を犯したことがあるのではと思う程、犯罪者の心理をすごい洞察力で見抜いていることに驚嘆しました。おそろしい位です。これに匹敵するのはシェイクスピア位でしょう。
素晴らしい外国文学
  高校の頃に話を戻しますが、エミリイ・ブロンテの『嵐が丘』にも鮮烈な印象を受けました。女性に対し、相手が死んでも尚、愛情をたぎらせて墓をあばき、死体をかき抱くというパトスは、何とも言いようがありません。それに、構成も素晴らしいですね。
  同じ時期にゲーテも読みました。食あたりで、軽井沢のホテルで寝込んでしまったことがあったのですが、夕方庭に霧がサーッと、白いブランコをかすめて吹き抜けていく。そんな情景を目にしながら、『若きウェルテルの悩み』や『ファウスト』を読んでいました。
  只、ゲーテというのは、やっぱり光り輝く太陽ですね。影の部分に属する人間の眼からみると、いくらか尊大な感じも否めません。でも、あの想像力はやはり大変なものでしょう。「自分に理解出来ない犯罪はない」って言っています。死んだら、是非彼にお目にかかりたいと思っています。
  大学に入ってチェーホフを読みはじめました。正直一番心にピッタリきたのはチェーホフでした。その頃僕は、芝居が好きになって、宇野重吉の演出のチェーホフなど観ていました。非常に冷静な、科学的な眼を持った人だと思うのですが、同時に、人間に対するその視線には、悲哀を籠めた優しさが限りなく漂っていて、抗しがたい魅力を感じます。どこか日本人のセンシビリティーに近いのではと思います。とにかく好きです。
  一応英文科に入りましたので、シェイクスピアをやったのですが、悲劇の最後で、人間の浄化された部分に深く魅かれました。研究対象に選んだのは、シェイクスピア最後の劇といわれる『テムペスト』ですが、そこには、悲劇を通り越した世界、全てが調和していながら、どこかに悲劇の影を背負っている、そんな世界のイメージがあります。いきなり最晩年の作品に、二十歳の僕が魅かれたのが不思議なのですが。
川端のデカダンス
  最後は、ソルボンヌ大学での研究テーマになった川端康成ってことになるのですが、何故そんなことになったかというと、川端がノーベル文学賞を受賞したという事実のインパクトがあります。つまり、それがとてもショックで残念だったのです。受賞の理由に、彼の文学が、日本の典型のようだということが言われていたと思いますが、日本文化の精髄を言うなら、その精神主義にこそあるのではないか、そして漱石こそそれにふさわしいと思いました。西欧では、谷崎、川端、三島と、耽美的な作家ばかり有名ですが、それは単なるエキゾティズムであり、大変な誤解に基づいているのではないかと思ったのです。
  北海道を旅した時、大きな滝があって、その滝の上に女性が立って、その白い肌から鮮血がサッと滝に流れ落ちたら、これはまさしく川端の世界じゃないかと、そんな風に思いました。既ち、川端というのは、むしろ西欧の十九世紀末的な、デカダンの美学に近い作家ではないかと直感しました。
そしてフランスへ・・・
  それを確かめる為に、フランスくんだりまで出掛けていって、比較文学的な手法で見極めたいと、そんな“妄想”を抱いたのです。
  研究していく内に、しかしそれが単に妄想ではないことがわかってきました。川端の若い頃に属していた新感覚派は、横光利一を中心に、実に先鋭的に、当時の西欧の前衛芸術運動をとり入れていました。川端もその冷徹な文学的資質と相俟って、鏡の底に映し出すように影響されていったのですね。こうした軌跡を追ったものが、フランス語で書いた修士論文「作家の眼−川端康成の初期作品とヨーロッパ二十世紀前衛芸術運動」です。章のタイトルだけ記しておきます。
  第一章「川端の初期作品と冷徹なリリシズム」、第二章「新感覚派−瞬間の美学」、第三章「一九二〇年代の東京におけるヨーロッパ前衛芸術運動」、第四章「川端康成とその世代−その文学批評」、第五章「掌小説」、第六章「カメラの眼」
病院で読んだ本
  フランスの病院入院中には、ホフマンの『黄金の壺』を読み、それから、フーケーの『ウンディーネ(水妖記)』、そしてシュティフターの『水晶』など、ドイツ・ロマンティシズムの作品を好んで読みました。
  例えばシュティフターの、敬虔な宗教的美意識で描き抜いた、まさに珠玉の作品『水晶』の純粋無垢な世界は、僕の疲弊した魂を、随分と癒してくれました。
    ─佐川一政著『生きていてすみません』(水栄社)より抜粋


そんな訳で、いよいよ開講!
佐川一政私塾・横浜癒しの芸術講座
オリジナリティーをさぐって
〜パクリの美学〜
☆只今、受講生募集中!☆

☆日時/1999年7月11日(日)より、隔週日曜日午後2時〜4時
☆場所/たまプラーザ(田園都市線、渋谷から急行で20分)
☆講師/佐川一政
☆受講料/三千円(会員制・要予約)

※詳細はtel.045-901-1298までお問い合わせ下さい※

今後の日程は、7月25日、8月8日、8月22日…と、いずれも日曜日のひとときです。夏目漱石、グリム童話、シェイクスピアなどから始めましょう。


本人が断念