☆不快日記1994年4月分(誤字脱字は原文のママである。)☆

不快日記

1994年?

4月7日
20時頃、東京駅キヨスク本屋で、「おれに関する噂」「ある流刑地の話」「腹立半分日記」を購入、筒井大先生の真似をして時々メモることにしようと決意するや、乗ったばかりの青梅行き電車で隣りに座る親父が高めの声で嬉しそうに演歌をひと節うなりやがった、頭にきたので他の席へ移動したら、その後おれの顔をじろじろ見やがった。ドブネズミコートのくそじじいめ、手前が馬鹿だからよけたまでだ、意外そうな顔なんぞしやがって。ところでおれの頭髪はブリーチしたブロンドである。脱色後丸3ヶ月経つので、正確に言うと根元から7〜8cmが茶髪でその先が金髪の2色である。この頭がどうしたというのだ、笑うやつは皆勘違いした国粋主義者だ。



←当時、休み時間に自分で撮った写真。どういう経緯でカメラを持っていたのか、全く覚えていない。(髪の先がブロンドであることが確認できる。)


4月8日
出勤前に(いつも通り)愛猫に甘える。愛猫がのどを鳴らす音は「ぶんぶくぶんぶく」と聞こえる。会社には3分遅刻した、仕事は忙しかったが昼食は苺のケーキ1コとホットコーヒー1杯を摂った。夕方から空腹になったが、昼間には食欲が無かったんだから仕方がない。職場の連中は今夜花見をするといってほとんどが定時で引きあげていったが、程なく雨が降ってきた。労働を学級委員会と勘違いしている馬鹿者どもめが、ざまあみやがれ。
帰りがけに目黒の本屋で仏版ELLEを立ち読みする、シャルロット・ゲンズブールのインタビューがのっていた。あの子は良い、罪のない顔だ。業の深い女というのは顔つきが陰険だからすぐわかる。(芝居をする者かどうか、を別にしてもだ。)夕食はカレーライスの予定、なぜ予定かというと、このメモは西武新宿線の急行拝島行きの電車内で書かれているからである。小生の個人生活は、電車の中にしかない、時間の足りない生活を送らされているのである。電車といえば、さっき山手線内でものすごいデブ2人連れが隣席に座った。上司と部下であるらしく、互いに「ですます調」の言葉で会話していたが、知らない人が見たら親子だと思っちゃうよなあ。若い方のデブは緑色の背広の袖口が5〜6cmもすり切れていた。ううむ。
玉川上水駅手前で左隣のワンレン女から髪の毛で顔を叩かれた。くそ馬鹿女め、ああゆう女を股裂きにしたら楽しいだろう。
帰宅後、夜中まで「マカマカ」をやった。

4月9日 土曜
午前中から「マカマカ」の続きを始める。「にんねの船」を手に入れてパーティ全員の前世をたずねる。夜「マカマカ」クリア、エンディングもバグっていて読めなかった。
夜中になって「レナス」をやり始める。グラフィックが「MOTHER」に似て美しい。オープニングだけを見るつもりが、朝の5時半まで続けてしまう。


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