☆活動歴@'90年代上旬☆
- ☆1991〜1993年頃・闇雲エロ本投稿期
- 作品掲載誌「女王様写真館ミストレス」「ビザールマガジン」「シスターパラダイス」(司書房)、「スプロウト」(吐夢書房)、「マリリン」(ビデオ出版)等。アソコとアソコは掲載の連絡も寄越さないし、見本本もくれないから自分で買ったし、当然の様な顔してギャラも支払わなかった。誌面には当社規定の報酬云々と確かに書いてあったけど、エロ本業界は約束を守らないのが当たり前で、信用する方が間抜けという事か。バチが当たって、その2冊はすぐに廃刊になった。その後、原稿を返却して欲しいという小生の頼みも聞き入れられず。以来、小生に非道な真似をした本は、悉く廃刊になっている。
- ☆1993年・初めて賞を貰った期
- 11月、東京都 STOP AIDS キャンペーン・ポスター展入賞。表彰式の前に、肩書きを変えるよう、役人から間接的に要請された。作品は現在も(悪名高きタックスタワー)都庁の中の衛生局エイズ対策室に保管されている(はずである)。そこの役人に、エイズ予防教育のために使うと言えば、無料で貸し出してくれる(はずである)。しかし、それらの作品が実際に使われているのを、小生は見た事がない。
←これが、都庁で眠っている作品だ!
↓これが、都庁で行われた授賞式だ!
☆1994年・エロ本関係者に闇雲持ち込み期
- SMやビザールファッションをテーマとした連作「O嬢を探して」を描き始める。熱心にエロ出版系の人たちに持ち込みをしていたが、大した収穫は無かった。アノ人やアノ人から、随分好き勝手な事を言われたものだ。「絵が重い」とか「日本らしさが無い」とか。
★次のページへ★ |